狂ったようにBUMP OF CHICKENの『話がしたいよ』を聴きまくる時期がある。
これ、歌詞を見ればわかるけど、バス停でバスが来るのを待つほんの僅かな時間の出来事が唄になっている。
「ああそういえばあんなこともあったな」とふと昔のことを思い出して切なくなる、誰にでもあること。
誰にでもあることだからこそ、こんなにも胸に響く。
忙しさの中でふと昔のことを思い出して、やるせなかったり、切なくなったりする。
生きているのにもう会えない(だろう)人との折り合いはどうつけていけばいいのだろう。
多くの人は恋人だったり、友達だったり、期間はどうであれ、深いつながりがあった人かもしれないし、
道端で親切にしてくれた名前の知らない誰かかもしれない。
幾つか明確に顔が浮かぶ人もいるだろうし、ぼんやりと気持ちだけが残る人もいるだろう。
こうやって心の中で大切に温めて灯りにしたり、時には涙に変わったり、様々なかたちがあるけれども、どうやったってそれを抱えながら生きていくしかないんだよな。
BUMPの音楽から私が教わったこと、勝手に理解したこと。
何度だって形を変えて伝えてくれるから、もう受け取るしかないんだ。
この曲はBUMP OF CHICKENの『リリィ』『サザンクロス』『トーチ』に通ずる曲だと(勝手に)思っている。
『リリィ』で自分の情けないところも、カッコつけたところも全て受け止めてくれた「最初で最後」と思わせてくれた人。
『サザンクロス』そんな全部を見せてくれた人に、自分は口先だけで、全てをさらけ出すことができなかった後悔、
『トーチ』あの時いえなかったことも、今なら言葉にできる、けどもう会うことはできない。
『話がしたいよ』でふとあの時のことを思い出してやるせなくなる。こんなことを思ったって叶うわけないけど、でもやっぱり伝えたい気持ちがある。
こういった全てを抱えていくのが「生きること」なんだよな。